포화속우로

今から見ます。

たぷポストカードもらった。
うれすぃ



つか

「このカードはいただくことできませんか」

と 堂堂と正攻法でゲットした。

うはははははっ!!
この映画を見ようと思ったのは TOPの小鹿のような プレーリードッグのような
あのくるくるっとした 「おびえた目」が見たかったってのもあったのですが
なによりココロ惹かれたのは
「学徒出陣」、「学生が戦争に参加する」という事実が韓国にもあった
(その背景には若干の差異があることは あとでわかりましたが)ということ。


「なぜ人を殺さなくちゃいけないのか。」「なぜ戦うのか。」「何のために戦うのか。」
彼等がその疑問にどのように折り合いをつけていくのか その様子を見たかったんです。

手法の違いからか、「戦争」の中にある「人間の情」の描き方が違うからか
ワシの知りたかったところは それほどフューチャーされてはいなかったように思いました。
それでも かなり重くココロに残り。


日本映画において戦争映画を描くとき「憐憫の情」を大盛りにしていることが多いように思います。
ギリギリの精神状態の中、理想と現実の狭間に揺れ動く自分の気持ち。
そんな中に結ばれる友情だとか 戦友や家族、祖国への畏敬の念、
「信じるもののために死にゆき、それがために残される清らかなもの」を前面に打ち出しているというか。
(「きけわだつみの声」に何度泣かされたことか。うぅ)

もちろん、韓国映画でもこのギリギリの状態のなか生まれる友情、
そして同志としての、同志への情はもちろん、敵とのあいだにもうまれたおぼろげな情だって描いている。
この戦争の場合は「同じ民族である(いや 「同胞」というべきか)」という大前提があるからの「情」なんですが。
そして 「軍人の情」・・というか この極限状態だからこそ生まれる ちょっとした接点も。
「戦うオトコの映画」だなぁと思いながら見ていました。




「おかあさん 今日ボクは人を殺しました。」
「北韓の人には 角が生えていると思っていましたが そうではないばかりか、死ぬ間際に言ったことばは
「おかあさん」でした。ボクと同じ言葉を話したのです(ほぼ意訳)」

日本の映画であれば ここらあたりをもっとセンチメンタルに描くと思うのですが、
韓国映画のなかでは こういうシーンを前面にだしてセンチメンタルに描くというよりも 
「こういう手紙を書くにいたった状況ってのは こんなんなんだぜ」という、パねぇ状態を前面に出して
「こんな状態の中でも 人間は人間の尊い気持ちを持ち続けているんだよ。」と説くところに力点をおいているように見受けられました。

そういう表現もアリだよね。




お客さんは 若い子よりも年配の方、しかもご夫婦でいらっしゃるかたが多くてちょっと驚きました。
「朝鮮戦争」をご存知でいらっしゃる世代の方方なのかもしれませんね。
「韓国映画=婦女子が見るもの」という一般的なイメージのままでいたので 見事にうらぎられた感が(笑)

そんな中
「あ!あの人 シティーホールに出てた俳優さんよね。どっかで見たことあるなぁって思ってたのよ~」
と エンドロールの流れる中、ずっとお話されていたおっきいおねーさまっ!!

そういうお話は 場所かえてゆっくりされていただきたかったかな・・・・(苦笑)



・・・・・って オットと寄ったビデオレンタルのお店で「シティーホール」のパッケージ見て思いましたよ。
スンウォンっしの演技、よかっただけに あの会話はちょっと興ざめだったなぁ。
スンウォンっしものすごくかっこよかっただよ。

んでもって キム・スンウっしが 最後にものすごくいとおしげにTOPを抱きしめる姿には 胸が痛くなりました。

・・・・戦闘シーンが恐ろしかったから余計にそう思ったのかも。

スポンサーサイト

Comment

Comment Form
公開設定

Trackback


→ この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。